心理の革命的変化の三つの要素
私たちはカリユガ、暗黒の時代を生きている。
(カリユガ:自分が無知であることを理解できない)
多くの神秘学の学徒は知らぬうちに黒タントラの道に迷い込み、
本来の道(タオ ダルマ)から外れてしまっている。
誤った神秘学を信じて、正しい道を歩んでいると、
未熟さゆえに誰もが信じているが、
白ロッジのマスター(大師)の誰もが驚き呆れている。
大多数の学徒は、無知ゆえに、
ミステリー(大奥義)の神殿お扉を見つけだし、
その敷居を超えることは、容易いことと思い違いをしている。
「心理の革命的変化の三つの要素」なしでは、
誰もアートマ・ヴィディヤ(神聖な悟り)を達成できない。
まず第二の誕生に至る。
それからアートマ・ヴィディヤを達成できるのだ。
それはすなわち、「複数の我」の死によってのみ、
アートマ・ヴィディヤを達成できることを意味している。
そして人類への献身がなければ、
誰一人としてアートマ・ヴィディヤに到達できないだろう。
アートマ・ヴィディヤとは、
進化の法則によって与えられるものではない。
また、退化の法則によっても与えられない。
非常に困難な、心理的変革を通してのみ、
アートマ・ヴィディヤに至ることができる。
心理革命の道は、カミソリの刃の道である。
この道は極めて困難な道であり、
内にも外にも危険がいっぱいである。
この章では、心理的革命の三つの要素について、
段階的に勉強していこう。
ここで叡智の学習者は正しい道筋を得ることができる。
それゆえ読者の方には、
心理的革命の三要素の一つ一つを学ぶために、
細心の注意を払っていただきたい。
なぜならこの心理的ワークにおける成功は、
各三要素を深く理解することによって得られるからだ。
第二の誕生
第二の誕生とは全く性的な問題だ。
古代エジプトの人々は、
賢者の石(性)を象徴する、若く強壮な雄牛アピスを、
神に捧げ信仰の対象とした。
(アピス:古代エジプト都市メンフィスで信仰された聖なる牛。
エジプト神話の創造神であるプタハ神の化身。
プタハの牛には、全身に29の特徴があるとされた。訳注)
古代ギリシア人は、
エジプトのファラオによって霊的指導を受けていた。
それゆえ、彼らも賢者の石の象徴として雄牛を崇拝していた。
覚醒意識
意識の目覚めは、
「自分自身を発見した時」に起こる。
意識の目覚めは、
5つのシリンダー(5つのセンター)で機能する、
人間という機械の中で「自分自身を発見した時」に起こる。
意識の目覚めは、
49段階の潜在意識の中で、自己を見失っている私達が、
「自分自身を発見した時」に起こる。
5つのシリンダーで動く、人間機械の中で、
私たちは「複数の我」の活動の中で、自分を見失っている。
「自分自身を発見」するためには、
潜在意識を目覚めさせることが必要だ。
このことは、
潜在意識の49段階において、
複数に存在する「我」を十分に理解する。
そうして初めて、それらを根絶できることを意味する。
「複数の我」を完全に撲滅した時にアートマ・ヴィディヤ、
至高なる正覚、意識の目覚めを実現できる。
献身
献身にはいくつかの種類がある。
1.サトヴィックな献身
この献身は、行為の報酬を期待しないものである。
神の戒律を尊重し、敬虔な思いで行われる。
2.ラジャシックな献身
報酬を目当てとして行われる。
3.タマシックな献身
常に戒律に反して行われているもの。
信仰、祈りやマントラ、思いやりもなく、
人類へのいかなる愛も存在しない。
また司祭やグル(導師)に神聖な贈物を捧げることもない。
心理的革命の三番目の要素が「献身」である。
それはサトヴィックな献身のことである。
行為の結果を期待せず、報酬を望まないということであり、
純粋で誠実であり、私心のない献身、
他人のために自分の命を捧げ、何の見返りも要求しない。
「太陽ロゴスの法則」というものがある。
それは献身、自己犠牲という法則である。
新しい世界がケイオス(カオス混沌)から生み出されるならば、
ロゴス(言葉 キリスト)は自分自身を十字架にかける。
このようにして、すべての被造物が生命を得て豊穣になる。
(一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、
豊かな実を結びます。
自分のいのちを愛する者はそれを失い、
この世で自分のいのちを憎む者はそれを保って、
永遠のいのちに至るのです。
人類のために自分を犠牲にするものは、
金星のイニシエーションに到達する。
金星のイニシエーションとは、
その人のうちにキリストが具現化することである。
人類はこのことを知る必要がある。
死
生と死の神秘について多くの人は何も知らない。
誕生という神秘について話そう。
二つの道が存在する。
人類には二つの道が用意されている。
それは右の道と左の道である。
右の道とは、今生のうちに一瞬一瞬に、
「複数の我に死ぬ」という決断をして、
「我」を根絶、溶解する人々の道である。
これは白タントラの道である。
左の道は黒タントラの道である。
人類の多くは知らぬうちにこの道を歩んでいる。
この黒タントラの道では、
一瞬一瞬に、「複数の我に死ぬ」代わりに、
「月の体」において「我」を増大させる道である。
左の道を歩む大多数の人類は、
マルト、あるいはトラムと化してしまう。
それはすなわち、ハナスムッセンである。
輪廻転生から最終的解放を望む者は、
今生のうちに一瞬一瞬に、「我に死ぬ」ことが求められる。
「我」を根絶、自分に死ぬことによってのみ、
私たちは自分自身を完徳に満ちた天使に変えられるのだ。
(月の体:人類の体は完成されていない。
神智学が教える7つの体は未完成の月の体である。
「我」を根絶して「空」を達成して初めて、
知恵(ソフィア クンダリーニ)に満たされて、
霊は完成する。これが黄金の体であり、
この時人はブッダになる。
その後、釈迦のように、ニルバーナを放棄して、
人類に教えを授ける人物は金星のイニシエーションを受け、
クリストになる。
ヨルダン川でのキリストの洗礼は、
このイニシエーションを象徴している。
ハナスムッセン:
死後も「複数の我」を持つ存在。聖なる母の流産とも言える。
霊が完成されていないために、
霊的な汚れ(業カルマ、悪意の度合い)により、
第二の死(地獄とも言われる別世界)に行くか、
カルマの法則により輪廻転生の輪から逃れられない。訳注)
(訳注:多くの神秘学の教えでは、
霊体について間違った情報を教えています。
人間の霊体は完成されていません。
完成された霊体は、
ト・ソマ・エリアコン、ト・ソマ・プチコンという名前で、
カッバラーの大奥義で呼ばれています。
詳細はここでは記述する余裕がないので割愛します。
参考までに聖書から引用しておきます。
そこで、王は言った。
『あなたは、どうして礼服を着ないで、
ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
そこで、王はしもべたちに、
『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。
そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。
マタ福音書22:1~14 参照