序文
(訳者注 この序文はスワミ・クリヤーナンダの個人意見が含まれています)
このスピリチャルの講話をまとめた本は、
私の人生において最高の貢献だと考えています。
人生の晩年にあたって、この偉大な著作をもう一度注意深く研究して分かったのは、
私のグル、パラマハンサ・ヨガナンダ師が、
神を心から求める人々が人生においてが陥る可能性のあること事柄を想定し、
スピリチュアルに対処するための最善の方法を示したものなのです。
「永遠からのささやき」はスピリチュアルの探究者にとって、
まさに最高のハンドブックです。
この偉大な聖典に取り組み新しい形で一般の人々に提供できたことが、
私にとって偉大なる祝福です。
ともうしますのは、私は師のインスピレーション、
高尚な概念、圧倒的な真の至福の津波(ほとんどの人はそのように感じるでしょう)
の一部を新たな表現に変えなければなりませんでした。
私は概念をひとつも変えずに表現をより簡潔で詩的なものにしました。
ヨガナンダ師が私に師の著作を編集するように命じました。
そこで私は師の主要な著作を編集したのです。
バカヴァッド・ギータ注釈本である「バカヴァッド・ギータの真髄」
オマール・カイヤームの著作「ルバイヤート」の注釈本、
師の最初の著作「宗教の科学」(のちに「神はすべての人のために」と改題)
そして師からの言葉を私が筆記し注釈した、
「パラマハンサ・ヨガナンダにより公言されたキリストの啓示」
ヨガナンダ師によると、「永遠からのささやき」は師にとって重要な著作の一つです。
私たちは夢の中にいるだけなのだ。
私が著述した「永遠からのささやき」を読みなさい。
私の言葉を通してエターナル(永遠の存在)あなたに話しかけているのを知るだろう。
1950年の春に、
私はカルフォルニア州の29パームスズで行われた、
ヨガナンダ師のリトリートに同席しました。
これは弟子としても、私の精神的成長にも重要な契機となりました。
ヨガナンダ師は私に、
バカヴァッド・ギータ注釈を口述し、
「バカヴァッド・ギータの真髄」の著作の編集を手伝うように依頼しました。
弟子である私たちは、
師の著作を私たちが編集することの是非を議論していました。
ヨガナンダ師は超意識の状態でなんの苦もなく(それは明らかでした)、
口述しており、それは完璧な文法と文体に思われましたから。
しかしながら編集にあたり、それはあまりにも楽観的だったと分かったのです。
エネルギーの流れが物質的なメカニズムを必要しないのと同様に、
超意識の知覚は論理的な思考も必要とされるのです。
超意識のエネルギーは論理的な思考を高めることをしますが、
論理的思考をなしに超意識は知覚はできません。
私のグルは、超意識と論理的思考の違いを理解することが重要と話し、
私に師の著作を編集するように依頼したのです。
私自身は臆病であり、これらの仕事が手に負えないものと感じていました。
(当時私は23歳でした)
そのとき、師は明確に編集するように明確に伝えました。
これらの問題について議論したとき、師はこう言いました。
『わたし(ヨガナンダ師)は「永遠からのささやき」を編集しました。
以前「あるヨギの自叙伝」も私自身が編集しました。
しかしながら、原稿を読み直すと、
それは完全なものではないと気がついたのです』
それは1929年版kara1949年版の間のいくつかの変更について話されていたのです。
著作の中のいくつかの記事には根拠と言えるものが必要でした。
彼自身が編集したとき、直感に反する結果となるものもありました。
彼自身による著述はインスピレーションが氾濫したものであり、
単語単位で注意深く論理的な思考に落としていくものでした。
師の繊細なニュアンスを見逃さず拾い上げる作業は過酷なものです。
それは直感という大海の押し寄せる波の、
波打ち際に打ち上げられた小さな貝殻を拾い上げる作業に似ています。
自伝の編集者の一人である、ローリー・プラット女史は、
ヨガナンダ師の意識に深く共鳴し深く献身していました。
そしてこの仕事に適任ではありましたが、詩的な表現にはセンスが足りないと、
私は告白しなければなりません。
彼女の編集では無愛想で断定的であると思え、
そこにはシェークスピア、キーツ、テニスンなどの韻が感じられません。
ときには彼女が師の考え自体にも修正が必要と感じている印象も受けました。
「あるヨギの自叙伝」から引用しましょう。
それはオマール・カヤムの著述の一説です。
ああ、書けることのない私の喜びの月よ、
天国の月は再び昇る。
この同じ庭から私を見つめてくれるのだろう。―空虚さよ!
彼女は編集し解説も加えています。
「喜びの月とは神であり、永遠の北極星、時代を超えたもの、
天国の月は外宇宙であり、周期的な回帰の法則に縛られている。
しかしこの鎖はペルシャの預言者の自己実現により、永遠に解き放たれた。
これからは、月は何度も昇り私を見つめてくれるだろう。 虚しさのうちに。
狂った宇宙のなかで満たされない探究者が、絶対的存在を求めることは、
なんと虚しいのか!
わたし(スワミ・クリヤーナンダ)は以下のように編集しました。
「ああ、神聖なる喜びの月よ、
内なる鳥では変わることなく、
夜の月は再び昇る。
この地上の庭園で、
広大な世界でスピリットが制限された私を、
彼女はいったい幾度私を探すのか。
しかし私はもはやいない。
見よ!
今や私とは偏在を故郷とする存在だから」
グル、ヨガナンダ師も私と同じく、
ローリーの詩的センスの欠如には落胆していたと思われる。
例えば弟子たちの小さなグループで師の詩、
「神よ!神よ!神よ!」を議論していたとき、
ローリーは、「私は彼らの騒音をかき消そう」の部分を、
「私は彼らの騒ぎをかき消そう」と変えてしまったからです。
(師のことばでは騒ぎではなく騒音なのです)
(訳者注 あまり建設的でないので数行割愛します)
この本は、「永遠からのささやき」の原版に基づいています。
師が純粋な熱意のあまり、慎重な編集が少なからずありました。
この本自体は、師の驚くべき愛情と献身に溢れており、
読む人々の人生に革命をもたらし、
「人生とはなんと素晴らしいのか!」と叫ばずにはいられないでしょう。
スワミ・クリヤーナンダ