第3章
山上の垂訓
主イエスの永遠のメッセージ
「私のこれらの言葉を聞いて行う者は、
その家を岩の上に建てた賢者に似ています。
そして、これらの言葉を聞いても、
それを行うことのない人はみな、
砂の上に自分の家を建てた愚かな人に似ています」
このように、有名な山上の垂訓の結びに、
主は話されたのです。
この垂訓は耳で聞いて理解するだけの、
おそらく、すぐに忘れてしまうような哲学的な議論ではありません。
そのような栄光ある説教のうちに、
主イエスは神の霊を呼吸していたのです。
山上の垂訓は神の言葉そのものであり、
神の炎をもって絶えず燃え上がる永遠のメッセージです。
イエスはこの垂訓を、身をもって生きたのです。
思い起こしてみましょう、
天使たちは父ヨセフに、
人々を罪から救うために生まれた、
子の名前をイエスとすることを命じました。
さあ今すぐ、山上の垂訓を繰り返し繰り返し学びなさい。
あなたを罪の暗闇から救うのは、この光しかないでしょう?
垂訓の一つ一つの言葉は、
あなたが罪から離れて神の王国である天国に
入るように熱心に勧めています。
主イエス・キリストの栄光ある人生によって、
神の王国の扉は大きく開かれたままになっていて、
世よ限りなくいつまでも人々が入れるようになっています。
この地上での主の人生とは、
山上の垂訓を解説ためだけのものだったのです。
イエスは神ご自身でした。
聖書はこの事実を何度も何度も私たちに思い起こさせます。
それなのに、なぜ、
主は迫害と苦しみに耐えなければならなかったのでしょうか?
神の意志をちょっと行使するだけで、
敵を圧倒することができなかったのでしょうか?
ええもちろん出来たはずです。
しかし、崇高なる愛の化身イエスは、自らの人生が、
人々が熱心に見習うための模範となることを選んだのです。
ですから、
主のたち振る舞いは普通の人のものではなく、
短くも波乱に富んだ人生こそ
山上で人々に解き明かした、偉大なる垂訓の、
完全なる実証だったのです。