明らかにされたクリヤヨガ

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スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 39


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A Happy New Year!!

皆様にとって 素晴らしい 一年になりますように!

 

 

    1953永遠の福音の家系

12月25日には、

恵みあふれる救世主の到来を記念して、

主イエスの誕生日を祝いますが、

それはキリスト暦の始まる8年前には、

主がこの世に生まれていたことも意味しています。

ちなみに、現代の歴史学者や古文書の専門家は、

12月25日の夜よりも前の、10月頃に、

エスが生まれたと信じ主張していましたが、

私たちの関心は、キリストの人生と教えにあるのですから、

このような論争や議論には興味がなく、

伝統的な信念が変わることはほとんどありません。

 

この地上に足を踏み入れ、

確かに呼吸をした、愛と憐れみに満ちた方、

肉体の世界をはるかに超えて、深遠で測り知れなく、

不変で人を限りなく高尚にする、主の栄光を、

思い描いてみても、どのようにして、儚き考えや、

限りがある言葉で書き表せるというのでしょうか?

 

 

    革命的な教え

確かにイエスの教義は、人間の思考にショックを与える、

最も強力な革命的な力でした。

彼の考えは時代を遥かに超えるものでしたから、

世界は主の教えの本当の意味を理解することが全くできず、

彼を危険な冒涜者と思い違いしたのです。

ですから、ユダヤ教パリサイ派の人たちが、

この尊い方を、恐るべき改革運動者として、

逮捕して排斥し、エルサレムのピラトの法廷で、

告訴したことは何ら不思議ではありません。

ローマの属州総督であったピラトは、

この騒動で起こり得る、政治的な反乱の芽を摘み取るために、

主を十字架上でゆっくりと残忍にも苦しめて死なせ、

決着をつけるという最終決断をしたのでした。

 

時はティベリウスカエサルの治世、

洗礼者ヨハネは霊的な社会運動家であり、

最も啓発された預言者の初期の一人でしたが、

その頃はまだ30歳くらいであり、

ユダヤの地でアラマイ語を話し説教をしていました。

 

 

イエス・キリストは、

人種や階級などの偏見から脱することの必要性と、

この世界では、神の子供として平等な権利と機会を持ち、

自身を人類という大きな家族の一員とみなして、

平和に生き、神を求めることを提唱した最初の一人です。

 

利己主義と貪欲が、恥ずかしげも無く大手を振る時、

主イエスは次のことを強調しました。

富の平等な分配の必要性と、

同胞や見知らぬ人への、分け隔てない哀れみと、

思いやりある愛情の実践。

許しと慈愛によって復讐と報復を放棄すること。

総じて不和と不調などないという明らかな理由から、

あなたの隣人をあなた自身のように愛すること。

もし悪に悪をもって報いるなら終わりがなくなるから、

悪には善で報いこと。

 

 

    キリストの神の概念

ヘブライの世界で、

エスはまず健康でより理想的な神の概念をもたらしました。

神は父アブラハムとの契約に同意したものとし、

神が独断的に彼らの運命を決め、

その契約によって、神の王国の中で、

諸民族の中でも特別な特権をユダヤ民族に与え続けるものと、

ユダヤ人は信じていました。

しかしこの考えはキリストの教えに反するものでした。

そこで主は、大胆にも、

神は人から慰めや煩わしさを受けることはなく、

全人類を愛する神であり、

えこひいきなど全くなく、公平で親切で慈悲深く、

人が己の性質を清めることにより、

知り得る方であると説教したのです。

 

 

エスが生きていた時代のパレスチナでは、

民族への忠誠心と他の民族への差別が厳格に守られていました。

現代でもみられるように、

ある人種を軽蔑と侮辱をもって見下すことで、

自らの民族を他の民族よりも誉れ高いものとしていたのです。

エスはこれに耐えられず、

普遍的な兄弟愛の福音と、全てを受け入れる愛を通して、

すべての差別を打破しようと努めました。

全ての人々の父なる神という、不変の信念が、

ユダヤ民族の宗派的、愛国的な熱情を持つ、

聖職者階級を怒らせた理由の1つとなりました。

私的な資産を蓄えること。

この世的な自惚れの正当化や、

衝動的な見境のない飽食のためからくる、思いやりのなさ。

罪を金銭のやり取りによって償わせようとし、

人々と贖いの間に障壁を設ける伝統的な習慣の継続。

エスはどれにも甘んじることはできませんでした。

その結果はどうなりましたか?

エスは殉教者とならなければなりませんでした。

 

 

    彼の宗教

救世主である彼の宗教は、心の宗教であり、

それは愛の大宮殿です。

神の王国は、この詐欺と欺瞞の物質世界ではなく、

低い性質を変容させた善良な人々の心に見出されると、

主はおっしゃいました。

したがって、まず第一に、イエスは内なる浄化を提唱し、

教義を、彼が定めた戒め、すなわち、

神の名をみだりに唱えてはならないこと、

盗んではいけないこと、

人を殺してはいけないこと、

隣人について偽証してはいけないこと、

人を憎しまない、あらを捜すことをしないこと、

人から搾取しないこと、

を通して社会の原則として適用することを望んだのです。

しかし、主の教えではさらに、

本当に神の国に入ることを望むならば、

地上の豊かさと虚栄心を放棄しなければならないと言うのです。

特権的な裕福階級に対する彼の反発は強く、

黄金の影響によって人々がいかに退廃しているのかを、

主は十分に知っていました。

 

 

それで主は「金持ちが神の国に入るよりも、

らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったのです。

そして永遠の命を受け継ぐことを望んでいる探求者に、

主はこうも言いました

「あなたは神とマモン(富)に同時に仕える事は出来ません。

一方を憎んで他方を愛したり、

一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。

全てを放棄しなさい、十字架を取り私に従うのです」と。

 

 

 

    彼の教え

キリストは彼の神聖な教えについて、

彼が山上の垂訓のなかで強調していたように、

素晴らしい信念を持っていました。

「義に飢え渇く人々は、幸いである、

その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、

その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、

その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、

その人たちは神の子と呼ばれる」

 

「何であろうと人が蒔いたものは、

みずから刈り取らなければならない」

と主が言ったように、

彼は原因と結果の法則を信じていました。

多くの人が、天国での将来の幸福の約束において、

主が過度に熱狂的であると誤って非難しています。

 

 

とんでもない、

遠い将来ではなく、今現在に関心を持ち、

徳と神への奉仕の中で、日々を喜んで生きなさい、

「明日のことを気にかけてはいけない、

明日は明日自身が考えるであろうから」

そう主はおっしゃっているのです。

 

エス「民衆の声は神の声である」と言ったとき、

大衆の感情に対して深い敬意を露わにしました。

主は宗教家たちの不誠実さを、大いに嫌っていました。

それで主はこのような特別なアドバイスをしたのです。

「祈るときには、偽善者のようであってはならない。

偽善者たちは、人に見てもらおうと、

会堂や大通りの角に立って祈りたがる。

あなたが祈るときは、

奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

そうすれば、

隠れたことを見ておられるあなたの父が、

あなたに公然と報いるであろう」

 

 

もし今日イエスが戻ってきたなら

もしキリストが図らずもある日、この世に再び現れたとして、

使徒たちの終わることのない情熱によって、

とてつもない改心がもたらされている今日でさえ、

世の人々が耳を傾けて聞こうとするかというと、

それはきわめて疑い深いでしょう。

結局は、キリスト教の本拠地となった西側世界でも、

見せびらかしては焦らす物質主義の魅力と、

無数の有益な商業および産業への関心から、

人間の快適さをますます拡大するためへと、

疑うことなく喜んで道を変えてしまっているからです。

さらに人々は、飽くことを知らない、

エピクロス(快楽趣味)の傾向に磨きをかけ、

政治権力の争いに興じています。

まあとにかく、

宗教会議の側廊にイエスがいたとしても、

おそらく誰も見向きもしないでしょう。

それどころか、ヨーロッパのおよそ半分、

アジアの3分の2ではイエスの入国ビザを断るでしょうし、

8億人以上の人が主に近づくのを禁じられるでしょう。

(1950年当時の世界人口は25億人 

つまり世界の3分の1はイエスを拒絶する意味)

それでも世界は、周期的に起こる地球規模の大火(戦争)、

避けられない罪なき人々の大量虐殺、終わりなき苦しみ、

政策による精神的基盤の破壊から救われるために、

キリストの教えを聞き、実践する以外の道は残されていません。

クリスマス・ベルの響きは、

世界中の人々の、特に世界と政府の指導者の心に、

いつの日か、救世主の精神が栄光の中で復活するという、

希望に溢れた光と期待をもたらしてくれるのです。

聖なるキリストの恵みが私たちすべてにありますように!

楽しいヨーガライフの提案をしていきます