多くの人は 霊的な巨人たちが
「シッダをも求めるな」
と教えているのに 超常的なパワーを求め
「肉体の誘惑に打ち勝て」と導いているのに
ヨガ雑誌は いつもモデルさんやアーサナの話が中心です笑
ヨーガの本当の話はどこに行ったのでしょうか?
現在 クリヤヨガ の セミナー用のテキストを作成していますが
皆さんは是非 スワミ・シヴァーナンダの著作を手にして
ヨーガの基本を学んでください。
霊性修行こそ性的魅力への答え
本当の精神修養とは、
物質面と霊的面での完璧なブラフマチャリヤの達成です。
本当の精神修養とは、
直接的な経験を通じて、最高なる魂(ブラフマン)のうちに、
情欲と世俗に満ちた心の人は、物質に執着しているため、
自己実現、神、自己、ヴァイラギア、自己放棄、
死、墓所という言葉は、とてもゾッとして恐ろしく、
歌、ダンス、女性についての話がとても楽しいのです。
もし、この世が非現実的であると真剣に考え始めるのであれば、
この世の事柄への魅力は徐々に消えて行くでしょう。
人々は欲望の火に燃かれています。
この悲惨な病気を根絶するために適した、
すべての方策を実行して成就しなければなりません。
すべての人々が、恐ろしい敵の欲望を根絶するのに役立つ、
様々な方法に完全に精通しているべきです。
ある方法で失敗した場合、別の方法に頼れるでしょう。
欲望は道徳的に未発達の男性の残忍な本能です。
人生の目標とは、
純粋さの達成と絶え間ない瞑想の実践による自己実現である。
このことを十分に認識しているにもかかわらず、
官能的な行為を何度も繰り返すことを恥じなければなりません。
異議を唱える人の中には、
これらのトピックは公然と扱われるべきではなく、
むしろ隠れて話されるべきだと言うかもしれません。
これは間違っています。
隠れて話してそれが何の役に立ちますか?
隠すことは罪なのです。
現代の文化と新しい文明の時代、科学の進歩のこの時代では、
これら禁欲のお話は、ある人々には面白くないことでしょう。
彼らは、いくつかの用語は耳障りで、ゾッとして、不愉快で、
猥褻であり、洗練された趣味の人々には適さないと言うでしょう。
彼らは完全に間違っています。
これらの話は、(罪からの)解放を切望する渇望する、
志願者の心に非常に深い影響を与えます。
彼らの心は完全に変わるでしょう。
現代社会の人々の間には本当の精神的文化はありません。
礼儀作法は単なる見せかけです。
多くの見せかけ、偽善的な行為、うわべだけの礼儀正しさ、
無意味な形式や慣習を、どこに行っても見ることができます。
真心からなされていることが何もないのです。
人々は誠心誠意と誠実さに欠けています。
賢者が伝えた4つのマハーヴァキャス(Mahavakyas)と
経典の価値ある貴重な教えでさえも、
情欲的で世俗的な人の心には効果もなく何も生み出しません。
岩の上に落ちた種のように芽を出すことがないのです。
豚の前に真珠を投げるようなものです。
訳注:4つのMahavakyas
4つのヴェーダにはそれぞれ1つが含まれている。
4つのMahavakyasは次のとおり。
これはSvarupabodha-Vakyaまたは、
ブラフマンまたは自己の性質を説明する詩文と呼ばれる。
2.アハムブランマーアスミ「私はブラフマンである」
これがAnusandhana-Vakyaであり、志願者が心を正そうとする考えです。
ヤジュルヴェーダのブリハダラニャーカ・ウパニシャッドにある。
3.タット・トヴァム・アシ「汝はそれである」
ウパニシャッド的Vakyaです。グルはこの詩文を通して指導する。
4.アヤム・アートマ・ブラフマ「この自己はブラフマンです」
これは、Anubhavabodha、
または志願者の内なる直観的な体験を表現する詩文です。
これは、アタルバヴェーダのマンドゥキヤ・ウパニシャッドにある。
これら4つのMahavakyasのうち、
タットトヴァムアシTat Tvam Asiは非常に重要です。
これは、Upadesa-VakyaもしくはUpanishad-Vakyaです。
グルはこのVakya(テキスト)を通してのみ、
ブラフマー・ジュナーナに弟子を灌頂します。
これはSravana-Vakyaとも呼ばれます。
このMahavakyaは、他の3つのVakyasを生成します。
以上
不純な人生がもたらす深刻な被害をはっきりと理解し、
純粋な人生を送ることで、
人生の目標を達成することを決意できたなら、
神聖な想念、集中、瞑想、研究、および人類への奉仕に、
自分の心を忙しく従事させることでしょう。
あらゆる性的誘惑に心惹かれる主な理由とは、
サダナ(霊的修行)の不足によるものです。
好色に対して単なる理論的な節制では、
望ましい結果を得ることはできないでしょう。
社会生活のあらゆる行いを容赦なく断ち切り、
肉体的存在の営みから解放された敬虔な生活を送るのです。
霊的に低級な傾向に寛容であることは、
結果として苦しみの地へと誘うことでしょう。
この点において言い訳しても何の役にも立ちません。
あなたは霊性の崇高な生活を、誠心誠意求めるべきなのです。
中途半端な状態は、昔の悲惨な状態のままにします。
友よ、このサムサーラ(輪廻)の沼地から目を覚ましなさい!
あなたはアヴィディヤ(無知)の中で溺れているので、
情欲はあなたの人生を荒廃させてしまったのです。
繰り返してきた前世で、
あなたは何百万人もの父、母、妻そして息子を持ちました!
その結果この体(パンチャコーシャ)は不純物でいっぱいです。
この不潔な体の要求に喜んで応じることは、
何という恥ずべきことでしょう!
それは愚かだとしか言いようがありません。
この体のためのモハ(Moha妄想)を諦めなさい。
また、シュッダ・アートマン(純粋なる自己)の栄光を、
黙想することにより、この身体との同一視を放棄するのです。
体を崇拝することをやめなさい。
肉体の崇拝者は、阿修羅と羅刹です。
(訳注 どちらも妄想と争いに生きる地獄の住人)