今日、人類に襲いかかっている性的な堕落は、
人間という存在には「性的な本能」あると、
仮定していることに直接に起因しています。
しかし、人々はそのようには振舞ってはいません。
自然の本能とは妊娠(生殖)のためにあるのです。
もし、男性と女性が性を単に生殖本能として捉えて、
性的な耽溺を制限するのであれば、
ブラフマチャリヤを遵守していることでしょう。
これは、
ほとんどの場合不可能であることが分かっているので、
人生のより高い価値を追求する人々には、
完全な禁欲が課せられるのです。
ムムクシュトヴァ(熱望)を燃え上がらせるサダカ(霊性修行者)
に関していうならば、独身主義(禁欲)は、
彼の生命エネルギーを浪費させないために、必要条件なのです。
(訳注
ムムクシュトヴァ:
知識の四つの手段はサダナ・チャツシュタヤと呼ばれる。
サダナ・チャツシュタヤ(Sadhana Chatushtaya)とは
ヴィヴェーカ(識別)、ヴァイラギーヤ(放棄)
シャットサムパト(6つの美徳)、
ムムクシュトヴァ(熱望)の四つを意味する)
世俗的な欲望を全て満足させようとすることは罪深いことです。
肉欲は、神のものになろうと一心に働く、
霊の卑しい奴隷としてあるべきです。
人は神との霊的な交わりのために創造されました。
しかし人は、
神との黙想から引きずり降ろして、世俗的な生活へ導くために、
人の感覚的な性質を利用して誘惑する、
悪魔に屈してしまっているのです。
したがって、道徳的な善良さとは、
すべての感覚的な喜びを放棄すること、
識別(ヴィヴェーカViveka)と放棄(ヴァイラギアVairagya)
によって世俗な事物から身を引くこと、
霊性に従ってのみ生きること、
神の完徳と純粋さを模倣することにあります。
官能にふけることは、知恵と神聖さに矛盾しています。
人生における偉大な事業とは、不純な事柄を避けることです。