明らかにされたクリヤヨガ

伝統的なヨーガの情報とクリヤヨガの技法をお伝えします

伝統的なヨーガの教えとクリヤヨガ の技法をお伝えします

スワミジの言葉 イエスの生涯 新連載 34


2018年5月からブログリニューアル


毎日記事更新中


f:id:erohimaya:20181220203924p:plain

すべての願いを叶えるカーマデーヌ

 

わたしたちが住むこの世界は まさに消費社会です

 

あれが手に入れば こうなれば 。。。。。

 

英語で渇望を クレイブ と言いますが 貪欲とも翻訳されます

 

七つの大罪の一つです

 

求めれば求めるほど 海の塩水を飲むように 

心は空虚になり 満たされることがありません。

 

あなたが 自分の持ち物 知識 愛 優しさを

惜しげも無く 与えられるように なった時

 

主イエス 主クリシュナ スワミ・シヴァーナンダが

言ったように

 

あふれんばかりに あなたに必要なものはやってきます

 

私は 時々冗談で100億円 欲しい と言いますが

 

真意は 世の中で 価値あるといわれる資産を持つことが夢ではなく

 

その金額に見合うものを 人に惜しげも無く与えたいという大望

言ってるに過ぎません

 

「神の義と 神の国を求めよ」

「そのほかのことは加えて与えられる」

毎日この言葉を信じて 実行しています。

 

神の義 ダルマは姿形がありませんが 

 

同時に私たちの行動と心にはっきりと存在します。

 

ダルマこそイエスが教えた神の義です

 

ダルマには人が望むものすべてを授ける能力があります。

カーマデーヌは大いなる母の愛とダルマを表しています。

カーマデーヌ(聖なる雌牛)はすべての願いを叶えます。

もしジャパヨガによって神の名前を唱え続けるなら

 

どんな奇跡が私たちの人生起きるでしょうか?

 

この神聖なクリスマスを通して 

 

わたしたちが 思いと行いと言葉を一新して

 

新しい年に備えて 神に愛されるものとなりますように。

 

OM

 

それでは スワミジのお言葉をお聞きください。

 

 

 


まったく崇高な汚れのない純潔さは、

神聖なマントルのように主の高尚な人格に眠っていました。

主の人生は、最高のパラ・バイラギヤ(最高の放棄)に基づき、

ジュニャーニャ(叡智)、バクティー(信仰)、カルマ(奉仕)、

という驚くべき組み合わせでした。

主における、頭、心臓、手の理想的な完全な発達は、

人類が永遠に熱心に見習うべき人生の模範となりました。

キリストは最高の自我と同一の類い稀なる意識です。

しかし、主の、個なる神に対する深い献身と愛は、

常に祈り、賛美、栄光を讃える姿の中で表現されていました。

そして主の実際の日々の生活の中で、

カルマヨガの精神をまさに具現化していました。

 

 

主の全生涯は、苦しんでいる人たちへの絶え間無い奉仕でした。

主の御足は援助が必要な所のみに向かうのでした。

主の御手が動くとしたら、

苦しみ、虐げられている人を助けるためだけでした。

主の言葉はただ優しく甘く発せられ、

憐れみ、慰め、霊感、啓発のみを語りました。

主イエスの輝くヨギの瞳で一瞥されるだけで、

見つめられた人々は目覚め、気高い者に変容し、

主を感じ、考え、話し、他者の利益のために行動しました。

あらゆる全てにおいて、主は、

「私と父は一つである」という示威ある意識に住んでいました。

彼の人生はサハジャ・サマーディそのものでした。

(心が意識のなかに没入した状態をサマーディと定義される。

サハジャ・サマーディではアートマンと一体化している)

 

真理をみごとに証しするという、人としてのイエスのうちに、

熱望者またはサダカ(霊性修行者)は、

二つの特性、すなわち、忠実に熱心に見習うべき見本と、

見事な道徳的勇気を見つけるでしょう。

 

 

主の人生は、反対勢力や迫害、意見の相違を物ともせずに、

沈黙のうちに最高に英雄的に立ち向かうことを見せています。

そして、真の探求者が霊的な道の上で、

どのようにして誘惑をはねのけるべきか模範を示しました。

遥かなる昔の十字架の磔刑のドラマを通して、

主イエスは全身全霊を自ら捧げて犠牲にすることで、

低級な我を根絶し、

純粋で聖なる人生を生きることを世に示したのです。

 

主こそ偉大なリシ(賢者)であり、かのガリラヤの人は、

主クリシュナが聖なるギータの中で述べていた、

「スティタディーヒ ムニ」“Sthitadheeh Muni”を

自ら例示した存在だったのです。

(スティタディーヒ ムニ 最高我と合一した存在 訳注)

バカヴァッドギータ2章54

アルジュナは言った。

理知が安定し、真我に浸っている人には、

どんな特徴があるのだろうか、ケーシャヴァよ。

安定した理知をもつ人は、

いかに話し、いかに座り、いかに歩くのか。

 

 

正反対のこの世の真っ只中にいながらも、

エスは完全に中庸を保ち、

最高我に永遠に没入していた賢者でした。

激動に満ちた人生の中でも、

主はひと時も落ち着きを失うことがありませんでした。

彼は喜びの中でも我を忘れることなく、

苦痛の中でも悲しむ浸ることがありませんでした。

宇宙的幸福のためだけに、友と敵を平等心から同じように扱い、

この完徳なるシッダ・プルシャは、

「サルヴァ ダルマン パリチャジュヤ

マメカム サラナム ヴラジャ」

“Sarva dharman parityajya mamekam saranam vraja,”

という、高潔な状態を象徴し、

神の人は憐れみ深い言葉で、声高く全人類に呼びかけています。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」

そして、このように約束しています。

「あなたがたを休ませてあげよう」と。

マタイ福音書11章28-29参照

(訳注 シッダ・プルシャ

ヨーガで得られる超常能力をシッディと呼び、

8つのシッディに到達した人はシッダ・プルシャと呼ばれます)

 

 

f:id:erohimaya:20181220205712p:plain

 

 

楽しいヨーガライフの提案をしていきます