誓いに似た他の形式として、未来を宣誓する方法があります。
心からの祈りによって決意するのです。
これは自己暗示とよく似ています。
このように祈ると良いでしょう。
「これから、私は節制、禁欲、放棄の人生を送ります。
神よ、あなたのお恵みが私の上に降り注がれますように」と。
このような祈りは精神的な進歩のために必要なものです。
世俗的な取引の場合でも、
いくつかの契約や約束をする必要があるのと同じです。
しかし、常に心に留めておくべき最も重要なポイント、
それは真の宗教生活の根本的な教えでもあるのですが、
未来は神の手にうちにあるということです。
未来への私たちの見通しは、
神の意志への奉献の一つでなければなりません。
何か誓願を立てる時に、自分自身を頼り誓うことは、
母親が5歳の誕生日プレゼントをした時に、
その小さい子供が、
「この美しい外套を、僕は永遠に着つづけるよ」
と愛する母親に約束するようなものです。
ここで最大の注意が必要です。
自然の悪い勢力(サタン)に降伏したり、
宗教的傲慢を育てるべきではありません。
目的なしに人生を過ごし、周りで起きている状況に、
本能的に反応してしまうのは人間以下の存在です。
物事を行ったり、あるいは行わない能力を持ち、
自分や人類の運命を形作れるということは、
確かに動物ができること以上のものですが、
それを自身へと帰するのは不当です。
それはいっそう悪く、悪魔的なのです。
一方、賢い人は、良いものを待ち望み、
何か壮大なものを熱望し、平和と繁栄のために働き、
すべてを神の意志に帰するでしょう。
髪の毛一本でさえも自分の意志で「白髪や黒髪」に、
変えることが出来ないと理解しているからです!
これがすべての進歩のマスターキー(万能の鍵)です。
このように神の意志の必然性を知るために、
人はハートの中に神の栄光を崇め、
永遠の時の中を行進していくのです。
あらゆる世界と、時の移り変わりの間にある、
善いものと同化し、
彼の信心と寛容と愛によって触れることで、
卑しいもの邪悪なものすべてを変容していくのです。
そのような彼は、教義と“とらわれた”信条と儀式に縛られず、
むしろ、神の意志と恵みの翼の上によって高い者になります。