どこに行っても彼の後には大勢の人がつき従いました。
そこで主はGergensenesに舟で渡ろうと望みました。
(訳注Gergesa、現代のKursi
彼が舟に乗りこもうとしていると、
一人の律法学者が主に従うためにやってきました。
主イエスは彼に向かって言いました。
「キツネには穴があり、空の鳥には巣があります。
しかし人の子はどこにも枕するところがありません」
偉大なる主にはご自身の家がありませんでした。
しかし、こんにち、
すべての人の心を主は住まいとして留まっています。
これこそ放棄の輝かしい実りなのです。
主に付き従おうと欲するものは皆、
このように、世俗へのすべての愛着を放棄し、
この世にまつわる全てを放棄して、自由を達成すべきなのです。
ある弟子は、亡くなった父親を埋葬しようとしていました。
主は彼に言いました。
「私に従いなさい、死者は死者によって葬らせるがよい」と。
これこそ心に響く呼びかけです。
「私に従いなさい」そうイエスは呼びかけています。
この世の無意味な事柄にとらわれて、
己の本質を理解もせず、死んだも同然の人々を思い煩うな、
死の弔いのために嘆き悲しむ人々もまた、
すでに世にいながら死んでいるのだから。
まことの義務を行う者こそ、生きており主に従うのだ。
そして、彼らは舟に乗り湖を渡った。
夜になると、激しい暴風が海上を襲い、
怒り狂った波で舟は危機に瀕した。
弟子たちは、荒れ狂う波で舟が転覆するのではないかと、
気もそぞろになりました。
そして、もはや舟はひっくり返るのだと騒ぎ始めました。
彼らは主もとにいき、主を起こしました。
すると主は彼らの信仰のなさを笑いました。
主が乗っている舟がどうやったら転覆できるのでしょうか?
主は嵐が止まるように命じました。
するとただちに湖は凪になったのです。
この出来事は弟子たちの信仰を大いに高めました。
「いったい、この方はどういう方なのだろう。
風や湖さえも従うではないか」
彼らはお互いに言った。
主が再び自分の町ナザレに戻ったとき、
人々は麻痺に苦しんでいる男性を連れて来ました。
主は彼に声高く祝福してこう言いました。
「元気を出しなさい、私の子よ。あなたの罪は許されます。」
「これは冒涜だ」と、律法学者たちは叫びました。
しかし主は、
この地上で罪を許す力を持っていることを断言し、
病人に床を蹴って起き上がり家に歩いて帰るように命じました。
そのとき、ああ、なんと、
奇跡が起こって、その男は癒されたのです。