明らかにされたクリヤヨガ

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イエスの生涯と教え スワミ ・シヴァーナンダ 新連載 2


2018年5月からブログリニューアル


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子供の歌

 

 

ふたつの小さな目は神様を見るためのもの

ふたつの小さな耳は神様の言葉を聴くためよ

ふたつの小さなアンヨは神様の小道を歩くため

ふたつの小さな唇は神様を讃えるためよ

ふたつの小さな手は神様の願いを行うため

小さな一つのハートはもっと神様を愛するためなの

 

 

賛美歌

1.導き給え優しき光よ 讃美歌288番

1たえなるみちしるべの ひかりよ、

家路もさだかならぬ やみ夜に、

さびしくさすらう身を

みちびきゆかせたまえ。

2ゆくすえとおく見るを ねがわじ、

主よ、わがよわき足を まもりて、

ひとあし、またひとあし、

みちをばしめしたまえ。

3あだなる世のさかえを よろこび、

ほこりておのがみちを あゆみつ、

むなしく過ぎにし日を

わが主よ、忘れたまえ。

4しるべとなりたまいし ひかりよ、

今よりなおも野路に 山路に、

闇夜のあけゆくまで、

みちびきゆかせたまえ。

5とこ世のあさにさむる そのとき、

しばしの別れをだに なげきし

あいするもののえがお

みくににわれをむかえん。

 

 

  1. 讃美歌21 512番 主よ、献げます

1主よ、献げます 私のいのち、

あなたのために 用いてください。

今この時も これからのちも

み名をたたえて 日々過ごします。

 

2主よ、献げます 私の手足、

みわざのために 用いてください。

差しのべる手を 愛の手として、

平和伝える 主の手足として。

 

3主よ、献げます 私の声を。

あなたのみ名を ほめ歌います。

この唇を よいおとずれで

あふれるばかり 満たしてください。

 

4主よ、献げます 私の愛を、

知恵も力も 宝もすべて。

私のうちに あなたが住んで

みむねのままに 用いてください。

 

 

3.讃美歌21 297番 栄えの主イエス

1栄えの主イェスの 十字架をあおげば、

世の富、ほまれは 塵にぞひとしき。

 

2十字架のほかには 誇るものはあらず

この世のものみな 消えなば消え去れ。

 

3見よ、主のみかしら、み手とみ足より、

恵みと悲しみこも ごもながるる。

 

4恵みと悲しみ ひとつにとけあい、

いばらはまばゆき 冠とかがやく。

 

5ああ、主の恵みに 応うる道なし、

わが身のすべてを、主の前に献ぐ。

 

 

4.讃美歌260番 ちとせの岩よ

千歳(ちとせ)の岩よ  我が身を囲め

裂(さ)かれし脇の  血潮と水に

罪も汚れも 洗い清めよ

 

か弱き我は 律法(おきて)にたえず

燃ゆる心も たぎつ涙も

罪を贖(あがな)う  力はあらず

 

十字架の外(ほか)に  頼む蔭(かげ)なき

わびしき我を 憐れみ給え

御救(みすく)いなくば  生くる術(すべ)なし

 

世にある中(うち)も  世を去る時も

知らぬ陰府(よみ)にも  審(さば)きの日にも

千歳の岩よ 我が身を囲め

 

 

5.讃美歌21 434番 主よ、みもとに

1主よ、みもとに近づかん。

十字架の道 行くとも、

わが歌こそ、わが歌こそ、

主よ、みもとに近づかん。

 

2さすらう間に 日は暮れ

石にまくら するとも、

夢にもなお、夢にもなお、

主よ、みもとに近づかん。

 

3天よりとどく かけはし、

われをまねく みつかい。

恵みうけて、恵みうけて、

主よ、みもとに近づかん。

 

4目覚めてのち、ベテルの

石を立てて 捧ぐる

祈りこそは、祈りこそは、

主よ、みもとに近づかん。

 

5天翔けゆく つばさを

与えらるる その時

われら歌わん、われら歌わん、

主よ、みもとに近づかん。

 

 

6.霧が去ったとき

輝きのなか霧が去ったとき、美しい丘が現れ

河と小屋に、喜びの陽の光が降りそそぐ。

虹が空に現れ、父なる神の約束を思いだす。

霧が巻き上がるように晴れて、

私たちはよりいっそう愛し合う。

 

 

コーラス

私たちはありのままの自分を悟る

もはや一人で歩くことはない

夜が明けて、幸せで光に満ちた日々を生きる

霧が去ったのだから。

たびたび私たちは重荷を背負い、

疲れ切った心のうちに、道を踏みしめる

この遠く離れた地で、日陰のなかで苦悩する日もある。

けれど、

霧が巻き上げられ去りゆく朝

私たちは集められ

救い主の「来たれ、なんじ祝福されたものよ」の約束に、

私たちのすべての労苦は報われる。

私たちは主の玉座のまわりに集い

喜びに満たされるでしょう。

愛する主のうちに互いに見つめ合います。

私たちはありのままの自分を悟るのです。

救いの歌を唄い、永遠の日々にのうちに歌は響きます。

霧はさってしまい、

もはや影は過去のものとなったからです。

 

 

第一章

主イエスの生涯

主の誕生のメッセージ

2000年前に、崇高なる光が、

この闇と悲しみの死の世界に天くだりました。

いつの時代も、どの地であっても、

主の支配する法はいつでもどこでも同じです。

不義が栄え正義が衰え、

神の言葉や使徒の戒めが忘れ去られ、

拒否される時に、

神の力よりも強い力が凌駕するようになり、

宗教的な狂信が聖書の教えを装い、霊を葬りさろうとする時に、

正義を救い、人々を救うために、

主ご自身が地上にお生まれになるのです。

それが、主イエスの誕生とスリ・クリシュナの、

アヴァターラの間に共通して見られる生誕の理由です。

 

出生時でさえ、沈黙のうちに主はメッセージを伝え始めました。

彼は地上の家に宮殿ではなく、馬小屋を選びました。

宇宙の主である彼が、王家ではないけれど、

謙虚で、貧しいが、

信仰に深く敬虔な両親の子供として生まれることを望みました。

彼の持つ価値は、死すべき人々とは大いに異なります。

 

 

彼の目には、地上の壮麗さや栄華も、

プライドに満ちた敬虔さと、つまらない知識の現れに過ぎず、

彼の天くだる器にはそぐわない世界でした。

その理由は、

「心の純粋なものよ祝福されてあれ、彼らは神を見るであろう」

と書かれてある通りだからです。(山上の説教)

 

主イエスの母である聖マリアは、

すでに天使から、神の子をみごもった事を告げられていました。

彼女は大工ヨセフという良い人と結婚していました。

彼らはナザレに住んでいたのです。

ナザレの国の支配者は、

すべての人々が自国の町や村に自分の名前を登録し、

税金を払わなければならないという命令を出しました。

そのためヨセフは、故郷のベツレヘムに行きました。

しかし、彼らがそこに到着したとき、

一夜を過ごす家や宿がなかったのです。

 

 

主が生まれたのはここベツレヘムでした。

祝福された純粋で敬虔な羊飼いたちこそ、

主に会う人たちでした。

彼らは羊たちを放牧していたのですが、

彼らの前に天使たちが現れて、聖なる誕生を告げたのです。

天使たちは主を賛美し美しい歌を歌い、

主の誕生の目的を明らかにしたのです。

 

天のいと高きところには神に栄光。

地には善意の人に平和あれ。

 

イエス・キリストがこの世界にきたのは、

神の真理と最高の栄光、地上の平和と、

主に従うすべての人々の善意を再建するためなのです。

救い主を礼拝するためにやって来た羊飼いたちは、

文字通り、地上で初めて祝福された魂たちでした。

主の誕生の8日後、

両親はユダヤ人の習慣に従い、

エルサレムで主を神に捧げるために神殿に行きました。

エルサレムには、シメオンという名の良き翁がいて、

主イエスの神性を認めた定めの人物です。

 

 

彼が主を神聖な寺院で見たとき、

エスは救い主であり、

地上に降り、無知と罪の暗闇を払拭し、人々の罪を贖い、

愛と善の道に沿って導き、内の神の王国の実現する、

神聖な光であることが分かりました。

その同じ日に、

預言者アンナも主イエスに会うと、

エスは神の子であり、

世の光として輝く者である事を声高く宣言しました。

 

それから間もなく、

東方の賢者たちはベツレヘムに到着し主に敬意を表しました。

主が生まれたとき、非常に輝かしい星が空を照らしたのです。

この賢明な人たちは、かの星が、

先の預言者たちによって約束された救世主が、

生まれたことの確かな兆しであることを知っていました。

そして彼らはメシアを崇拝するために出発したのです。

彼らは星の指し示す方向に向かい、ヘロデの王国に来ました。

彼らが自らの使命をヘロデ王に説明すると、

王は喜びよりもむしろ恐れおののいて話を聞きました。

そして、

聖なる子がどこに生まれたかを、教えるように頼んだのです。

 

 

ヘロデは、彼も聖なる子を礼拝したいと言いましたが、

心の中では主を亡き者にしたいと企んでいたのです。

その後、賢者たちは、輝く星に従い続け、

そして主が待つ家にたどり着きました。

聖なる赤ん坊の前で賢者たちはひざまずき、

礼拝すると、献身と敬意の謙虚な象徴として、

彼に高価な贈り物を捧げました。

乳児イエスへの神の保護

賢者たちは天使から、

ヘロデにイエスの所在を打ち明けないようにと警告されます。

そのため賢者たちは再びヘロデに会うことなく

それぞれの道を帰って行きました。

こうしてヘロデは、凶悪な野心を挫かれ、

ベツレヘムの2歳未満の全ての子を殺すように命令を出します。

こうして王の役人たちは無慈悲にも命令を実行したのです。

 

 

そうして数千人もの乳児たちは、

ただちに天国の主の御足のもとに運ばれたのです。

しかし、主イエスと共にいた、ヨセフとマリアは、

来るべき危険を天使たちにあらかじめ警告されていました。

彼らはヘロデの権限の及ばないエジプトに逃げました。

天使たちが再び彼らの前に現れ、ヘロデ王の死を告げるまで、

主はしばらくの間、エジプトに留まっていたのです。

ヨセフとマリアとイエスが母国に帰ることになったとき、

ユダヤを支配するヘロデ王の息子の近くでは、

安全でないと感じたため、彼らはナザレに住むことにしました。

ナザレでは、救い主である御子、主イエス・キリストは、

敬虔な両親の息子として育ち、ヨセフから木工を学びました。

後の人生では、12人の偉大な使徒を形作り、

その炎の言葉は、すべての時代の無数の人間や、

地球上の国々の運命を象(かたど)る

神聖なマスターは、木材を相手にせっせと大工を学び、

道具や家具作りに励んでいました。

 

 

光の最初の光線

主が十二歳になったときヨセフとマリヤは過越の祭りのために、

エスエルサレムに連れて行きました。

エスは寺院と司祭たちの講話に非常に関心を持っていました。

実際、彼は神への思いと、神聖な律法に完全に没頭していました。

彼の両親が寺院を離れてナザレに戻ったとき、彼は寺院に戻り、

宗教上の疑問について議論をしていた教師たちに参加しました。

哲学のマスターにとってさえ、彼の言葉は驚くべきものでした。

すぐにヨセフとマリアは、

エスが一緒にいないことに気づきました。

大変驚いた両親は慌てて神殿に戻り、そこに彼を見つけました。

こっそりと立ち去った事をマリアは優しくも叱りつけましたが、

そうすると、イエスは驚くべき神秘な言葉で返事をしたのです。

「私が父の仕事しているはずだと、分からなかったのですか?」

 

 

その後約14年間の人生を、イエスはインドで過ごし、

ヒンドゥー教や仏教の僧侶のように暮らしました。

彼は燃えるような離欲、放棄の精神を持っていました。

インドでは、彼はヒンズー教の理想と原理に同化していました。

クリスチャンの多くは、

この「失われた時期」についての記述を信じないでしょう。

彼らは聖書にはそのような記録がないと主張します。

はるか20世紀ほど前の人物に関する記述ですから、

意見の相違が生じるのは仕方がありません。

旧約聖書には当然のことながら、何の言及も含まれていません。

新約聖書は、イエスによる啓示の後、

弟子たちが書いた福音書などで構成されています。

しかしながら明らかなのは、

インドを旅して賢者や予言者からイニシエーションを受けた期間

という彼の青春時代の記録について、一切の記述がないことを、

見つけようと調査することは無益ということです。

 

 

ある時期にイエスがインドで旅した時代があったということは、

初期の多くの歴史家が信じてきたことです。

とにかく今となっては、この話は根拠のないものになっていますが、

この話を受け入れるならば、

東と西の世界の間の愛の絆を強化し、

2つの半球の間の善意を促進するものとなるでしょう。

そしてそれこそが、主の使命であったのです。

 

 

神の化身がグルを求める

司祭ゼカリヤと、その妻エリザベスの息子である、

バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ イエスのグル 導師)は、

天使のガブリエルの預言にしたがって、

人々に洗礼を与え始め、

この世が主イエスの光を受ける準備をしていました。

主イエスは今や約30歳になっており、

ヨルダン川のほとりに来るとヨハネに洗礼を求めました。

ヨハネはイエスの神性を認識すると、

「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、

あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」と答えました。

しかし、主は人類に模範を示そうと決めていました。

霊的な啓発というものは

グル(導師 教師)を通してこそ受けることができるからです。

洗礼が終わった瞬間、

彼の頭上に、神の霊が鳩のように降り、

彼に下って来るというビジョンを主は見ました。

そして、天の声がこう言いうのを聞きました。

 

あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ

 

 

洗礼者ヨハネでさえ、しばしば、

主イエスが自分よりも偉大な存在であると宣言していました。

しかし、主が彼のグルにおこなった献身を見てください!

エスはこう言ったのです、

 「おおよそ女性から生まれたもののうち、

洗礼者ヨハネよりも大いなるものはいない」

もっとも崇高な存在、大いなる最高の意識である、

主イエスでさえも、地上に降り立ち、

グルバクティ(グルへの献身)という模範を示されたように

グルへの献身とは、

閉ざされた神聖な王国の扉を開ける鍵なのです。

 

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